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読書感想サイト/ブログを書くということ

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直木賞作家、道尾秀介氏のtwitter投稿に考えさせられた。
少し長いが下記に引用させていただく。

引用start
自著の評判は見ないようにしているけど、感銘を受けた本の評判には興味がある。ためしに検索してみると、重箱の隅をつつくような文句を並べたり、自分が理解できなかったからという理由で駄作と決めつけている人がときどきいる。どんな人なのだろうと思って追ってみると……

……なんと作家志望の人が異様に多い。一つ真面目にアドバイスしたいのだけど、そういう姿勢で作家になれた人に、僕は一度も会ったことがありません。

先程のツイートは語弊があったようで。「作品を理解した」という前提で文句を言うのは、一般読者であればいいのですが、作家を目指す人のやることではないという意味でした。テレビで野球中継を見ながらスウィングや投球に文句ばかり言っている人が、将来野球選手になれるとは思えないということで。

引用end


私個人はたいへん申し訳ないことに、実は道尾氏のデビュー作を(注1)ネットの個人ブログ上で酷評した者の一人だ。「背の眼」はミステリーとして犯人がすぐに予想できてしまう(注2)こと、京極堂シリーズのエピゴーネンに感じられたことから、いまいち楽しめなかったのだ(注3)。

自分のことを棚に上げて言うが、読者にも様々なレベルがある。
たとえ同じ本に対する感想でも、生まれて初めてミステリー小説を読んだ人間と、古今東西のミステリを読破した人間とでは、当然受け取り方が変わってくるだろう。
かように、本の評価は難しい。

日本語としての文章のまずい作品、プロットの破綻や過去作品との類似などの明らかな疵のある作品を除けば、小説は絶対評価のない世界だと私は思っている。
たとえば、「面白い」本が至上の作品だと定義したとしよう。その場合、「面白い」と感じる判定基準に個々人で差異があることが問題になる。
読んでああ面白かった、と思った本があるとしよう。だが、泣ける本と笑える本はどちらが上なのか?それを判断するのは、読者のあいまいな「好み」でしかない。

文章が巧い作家がいたとする。見目麗しい美文が良いのか、声に出して美しいリズムのある文が良いのか、それともシンプルビューティな平易な文が良いのか、多種多様な文章の中から、一番を選ぶことはできない。
ここまではフィクションの話をしたが、フィクションとノンフィクションを同列に扱うことも、またできない。
本の評価は本当に難しいと思う。

誰もが経験があるだろう。
「面白いよ!」と言って他人にすすめた本が、あまり歓迎されなかったことが。
「面白い」という人が多い本は確かに存在する。
だが、読者を100%面白がらせる本はない。どんなに面白い本でも、気に入らない人間はいる。
それは、個性を持つ一個人が万人と仲良くできないことに似ている。


言い訳をするならば、私は少なくとも、読んだ人間が「こういうわけでここがだめだと思ったんだな、だから気に入らなかったんだな」ということが、ネタを割りすぎない範囲でわかってもらえるように感想を書いてきたつもりだ。それを「誤読」とか「読めてない」と思う人は私を嗤って通り過ぎればいいし、「そうそう自分もそう思う!」と思う人には読後感を分かち合いたいと思ってブログを書いてきた。


私の問題は、作家を目指すより、感想サイトを始めた日付の方が先だったことだ。

感想サイトを運営することは、楽しい。
自分の読書メモでもあり、本の好みが似通う人とネット上で出会うことはかけがえのない喜びである。
さらに、微々たる金額ではあるが、amazonアソシエイトにより本を買うお小遣いが得られることもある。


ミステリー界のベテランK氏は人気読書感想サイトを運営されていたが、デビュー後はサイトを凍結なさったらしい。
また、ラノベ界の人気作家T氏も読書感想サイトで有名だったが、デビュー後は更新を停止されているという。
私が知るケースはこの二件のみだが、作家となったからには同業者へのレビューをやめる、というのが正しい態度なのかもしれない。

ネットで酷評した本の作家が、新人賞の選考委員を担当しているなんてことは、ざらにある(注4)。
作家志望者なら当然、言わぬが花ということになろう。

だが、それでも人には読んだ本の感想を述べる自由はあるし、サイトでのハンドルネームと作家としてのペンネームを変えるという裏技もある。名前さえ変えてしまえば、知人経由、もしくは自分からバラさない限り、同一人物だと世に知られることはない。

私は感想ブログを現在も続けており、2009年に自著(注5)を出す際に少し迷ったが、それでも長年使って来た読書感想サイトの名前を変えずに使った。
今までは言う側であったが、批判を受ける立場に甘んじようと思ったからである。
「こいつ人の本には言いたい放題で、てめぇの本はこんな程度なの?」という批判であっても、受けなければならないと。
また、名前を変えて過去を知らぬふりするのは、卑怯に感じられたのだ(注6)。

著書が一冊しかない人間が何を自意識過剰になっているのかとも思うが、一つわかっていることは、たとえつまらないと感じた場合であっても、作品へのリスペクトを忘れてはならないということである。

 
最後に。書痴となりかけた本読みとしては、道尾氏が「感銘を受けた本」が何なのかをとても知りたい。








1.読者である私の若気の至りもあった。今はずいぶんと老いて丸くなった…と思う。

2.小説上必要性があるとは思えないのに、やたら詳しく描写される人物がいたので、何かあるなと勘ぐってしまうということ。

3.問題の酷評は、はてなダイアリーの「読書日記PNU屋」に掲載。
氏の作品を今は読んでいないが、既刊「シャドウ」は素直に興奮したし名作だと思っている。

4.私調べ。複数の賞をかけもちなさっていることも多い。

5.「女医裏物語」バジリコ刊。ブログを書籍化したノンフィクション。現在は同タイトルで文春文庫に収録。

6.今は別な理由でペンネームを変えたい。なぜなら幾通りもの読み方があるPNゆえ、難読との指摘が多かったからである。


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