![]() | 琥珀のまたたき 小川 洋子 講談社 2015-09-10 Amazonで詳しく見る |
末っ子が野良犬に舐められた後に病で死んだことから、母親は訂正不可能な妄想に支配されてしまった。母親の狂気は残された娘と息子を覆い尽くしていく。
最初は、ちいさな違和感だった。それが徐々に膨れ上がり、カタストロフの直前にさらに異様な新情報が明かされ(三姉弟の髪型など)、一気に崩壊していくさまは、儚くも惨くて、見事な小説と言うほかはない。
ネタバレすると…
本書は異様な妄想に凝り固まった母親が、我が子を長期間軟禁するファンタジックな児童虐待ものである。著者のファンならわかると思うが、悲惨な状況の現代ものなのにどこか〈ファンタジー〉を感じるのは、本書に出て来る子供たちが、ピュアかつ想像力に富んでいて素晴らしいからだろう。
はたから見れば狂人であっても、子供たちは母親の妄想を共有し、その世界を守るように暮らしていく。それは親子の共犯関係なのだが、子供たちは母の愛を求めているせいと、おそらくは逆らえるほどに外の世界を知らないことがゆえに、驚くほど従順に母親の決めた窮屈な世界で身を縮めて過ごさざるを得なかったのだ。
世の常としてそんな歪な世界が長く続くはずもなく、外からの訪問者により母親の完璧な結界は徐々にほころびていき、長姉の裏切り(なんら責められることのない決断ではあるが、あくまで母から見て)により決壊する。長姉も次男も出ていき、独り残った長男は、〈母の呼びかけに応えない〉という方法で、消極的に母の呪縛を否定する。結果、悲惨な結末が待っているのだが、後年の彼を見るに、その方法しかなかったのだろうと納得しうる。
故・河合隼雄先生は、人と人との関係が近すぎるとき、そこから離別するには或る意味暴力的な手段が用いられることになる(うろ覚えですまないが、大筋ではそんなようなことを著書の中で)と仰っていた。本書を読んで、ふとそんなことを思い出すのだった。